マンションを引き払って、一戸建ての家に引っ越したときの話です。
子どもたちはそれぞれ自分の道を歩き始め、私は「これでやっと、念願の一人暮らしだ〜! 平穏に暮らせるぞ〜」なんて、のんきに喜んでいました。ところが、私の人生はそう簡単にはいかないようで……(笑)。
後になって分かったことなのですが、このときの引っ越し、なんと九星気学で見ると「凶方位」にドンピシャで当たっていたのです。
しかも、その方位の恐ろしいところは、「4年経った頃に体にガタがくる」という性質を持っていたことでした。
霊媒体質の私にとって、この方位からの影響はそれはもう強烈だったようで、見事に4年経ったある日、ピタリと体調を崩してしまったのです。本当に、なんとも皮肉な話ですよね。
ある夜、首に入ってきた「何か」
その日はなぜか、いつも寝ているリビングの小上がりではなく、家の奥の部屋で寝ることにしました。
布団に入ってしばらくすると……突然、首の中にスルスルと何かが入り込んできたんです。それが背骨に沿って「ジョロロロ……」と冷たく流れ落ちていくものだから、「うわっ、なんだこれ気持ち悪い!」と。
その直後です。急に息ができなくなり、胸が締め付けられるように苦しくなりました。
まるで、こちらの世界とあちら側の世界の境界線を行ったり来たりしているような、そんな得体の知れない感覚です。「私、どっちに行っちゃうんだろう?」と本気で焦りました。
なぜかその夜は全室の窓を全開にして、一睡もできず、朝まで必死に呼吸を整え続ける羽目になりました。
翌朝、慌てて病院に行って血液検査をしてもらったのですが、結果は「異常なし」。
いやいや、こっちは息も絶え絶えなんですけど……!と納得がいきません。しかも、原因がわからないお医者様から「とりあえずお薬を出しておきますね」と、なんだか依存性がありそうな怖いお薬を提案されたのです。
「原因不明なのに、こんな強い薬を飲んだら余計におかしくなっちゃうよ!」
直感でそう思った私は、処方されたお薬を一度も飲まずに引き上げました。
それからというもの、私の体調は坂道を転がるように悪化していきました。
全身はビリビリと痺れ、息苦しさは取れず、歩くことすらままならない。皮膚と肉の間で、細かなガラスの破片が無数にざわざわと動き回っているような感覚が、24時間ずっと続くのです。もちろん、夜も一睡も眠れません。
病院を何軒ハシゴしても「異常なし」。周りにも理解してもらえず、「いつ死んでもいいや」と本気で死に支度を始めるほどの壮絶な日々でした。
父の死と、夜のキッチンからの「大勢の声」
そんなボロボロの状態のときに、今度は父が咽頭癌になってしまいました。
山口の大学病院から「新しい抗がん剤(免疫チェックポイント阻害薬)の臨床試験的な治療をすれば、余命を延ばせるかもしれない」と説明を受けたのですが、私は医師のその口ぶりや雰囲気から、「あ、これ実験台にされちゃうな」とピンと直感で感じたんです。
「人間の寿命なんて神様しか分からないのに……」と納得がいかなかった私は父に止めようとしたのですが、父は「お前の言うことなんか聞けるか!」と怒ってしまいました。
結局、父は治療を受け、3回目の投与で左頬が大きく腫れ上がり、眼球が飛び出るほどの痛ましい姿になってしまいました。亡くなる直前、「あぁ、お前の言うことを聞いておけばよかった……」と絞り出した父の声を、今でも鮮明に覚えています。
癌と発覚してからわずか半年、父はそのまま旅立っていってしまいました。
それから1ヶ月ほど経ったある夜のことです。
布団の中でうとうとしていた私の耳に、キッチンのほうから「ガシガシ、ザザッ」という、古いレコードプレーヤーのような雑音が聞こえてきました。
「ん? なんだろう?」と思っていると、今度は大勢の女性たちが、わちゃわちゃと楽しそうに井戸端会議をしている声が聞こえてきたんです。
「こんな夜中に何の集まり!?」と驚いていると、今度は若い男性のハッキリとした声で、こう聞こえました。
「ここだよ、ここにいる」
その声は、だんだん遠ざかるように消えていきました。
最初は「夢かな?」と思ったのですが、しばらくしてまた同じ女性たちの話し声が聞こえ、そして二度目は完全に目が冴えている状態で、あの若い男性の「ここにいる」という声をハッキリと聞いたのです。
「うわ、これヤバいところに来ちゃったな……!」と怖くなった私は、反射的に「結界を張らなければ!!」と思いました。
もちろん、当時の私は結界の張り方なんて1ミリも知りません。思い立ったはいいものの、「どうやって張るの!?」と我ながら呆れてしまいました(笑)。
でも、翌朝すぐにネットで必死に調べて出会ったのが、今の私の師匠です。
後日、師匠にこの話をしたら、
「あぁ、それは冷蔵庫のあたりにいた守護霊さまたちの話し声だったのかもしれませんね〜」
と教えていただきました。
そう言われてみれば、女性たちの賑やかなお喋りも、男性の「ここにいるよ」という言葉も、私に何かを知らせようとしてくれていた温かいサインだったんだなぁと、今ならよく分かります。あの出来事がなければ、私は師匠にも、そして「産土神社」という素晴らしいご縁にも出会うことはありませんでした。
不思議な「お迎え」の気配と、見えない導き
父が亡くなってからというもの、私の周りでは不思議なことが立て続けに起こりました。
川沿いを歩いていて「鶯のつがいが珍しいね」と話しかけてくれた、色褪せたエプロン姿のおばあさん。線路沿いでこちらに手を振っていた、戦時中の軍服を着た男性。
どちらも、ふと目を離した瞬間にスッと消えてしまう、どこか色褪せた方たちでした。
あとで分かったのですが、あの世側にもちゃんとルールがあって、こちらの人間を本気で怖がらせたりしてはいけない決まりになっているそうです。だから、私をびっくりさせないように、そっと姿を消してくれたんですね。あちらの世界は、本当にちゃんと秩序があるんだなぁと感心してしまいます。
振り返ってみれば、私は最初から「産土神社鑑定士になりたい!」と思ってこの道に進んだわけではありません。
ただ「結界の張り方を知りたい!」という一心から、導かれるようにここまでやってきました。
結婚も、音楽の道も、自分が「こうなりたい!」と望んだものは、正直なところ何ひとつ思い通りには手に入りませんでした。
でも、自分がまったく予想もしなかった、考えてもいなかった方向へ、目に見えない大きな力(産土の大神様)によって、スルスルと自然に運ばれていく――。
人生って、本当に面白いものです。
「私たちは自分の意思だけで生きているつもりでも、実はあちら側から、あたたかい大きな手でちゃんと導かれているんだなぁ」と、今では心からそう感じています。


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