「なぜ産土神社鑑定士になられたのですか?」
と聞かれることがあります。
確かに、産土神社鑑定をご依頼される方にとっては、自分の産土神社がどこなのかということだけではなく、いったいどんな人が自分の鑑定をするのかということも、知っておきたいことの一つではないかと思います。
神社が好きで、たくさんの神社を巡り、神様について詳しいということと、目には見えない領域を扱い、その方の産土神社を鑑定するということは、同じではありません。
神社巡りなら、私も楽しくお話しできます。
けれど、人さまの大切な産土神社をお調べするとなれば、話は別です。
まして産土神社鑑定は、地図を広げて「この辺りなら、この神社でしょう」と探すものでもなければ、神社についてたくさん知っていればできるものでもありません。
ですから鑑定を受ける方が、
「この人は、どういう人なのだろう」
「なぜ、この仕事をしているのだろう」
と思われるのは、当然のことだと思います。
そこで今回は、私がなぜ産土神社鑑定士になったのか、そのお話を少しずつ書いてみようと思います。
ただ、その理由をお話しするには、少し昔のことからお話ししなければなりません。
これから少し、不思議なお話になります。
こういうお話は、信じる方もいれば、信じない方もいらっしゃると思いますので、目には見えない世界のことを、
「そういうこともあるのかもしれないね」
と受け止めてくださる方に、読んでいただけたら嬉しいです。
もっとも、誰かに信じてもらうために書くわけではありません。
私自身が実際に経験してきたことですので、信じるか信じないかは読む方にお任せして、私はただ、起きたことをそのまま書いてみようと思います。
私は長年、市川市南行徳にある500世帯ほどが暮らす大きなマンションに住んでいました。
その地域ではシンボルのようなマンションでしたが、今振り返ってみると、このマンションに住んでいた頃、私の身の回りでは何とも説明のつかない不思議なことがたびたび起きていました。
引っ越して数か月たった頃、夜中に突然、玄関のインターホンが鳴りました。
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。
こんな時間に誰だろうと思ってすぐに玄関を確認したのですが、そこには誰もおらず、次の日もまた夜中に鳴り、その次の日も鳴るということが4日間続きました。
一度なら部屋を間違えた人がいたのかもしれませんし、二度なら誰かのいたずらとも考えられますが、さすがに4日も続くと、怖いというよりだんだん腹が立ってきました。
そこで4日目の夜、私は100円ショップで買ったプラスチックの野球バットを持って玄関前で待ち構え、今度ピンポーンと鳴ったら、すぐにドアを開けて犯人をバットで叩いてやろうと思っていました。
相手が誰なのかもわかっていないのに、こちらはすでにバットを用意しているのですから、今考えると、ずいぶん物騒な住人だったと思います。
しかも100円ショップのプラスチック製ですから、それで何と戦うつもりだったのか。
けれど、その時の私は大真面目でした。
そしてしばらくすると、案の定、
ピンポーン。
と鳴りましたので、私は間髪入れずにドアを開け、
「ふざけるな!」
と言ってバットを振りかざしました。
ところが、誰もいないのです。
鳴った瞬間にドアを開けているのですから、いくら足の速い人でも逃げていく後ろ姿くらいは見えてもよさそうなものですが、人影ひとつありません。
さすがに誰かのピンポンダッシュにしてはおかしいと思い、翌日マンションの管理人さんに相談して、まずインターホンが故障していないか調べてもらいましたが、異常はありませんでした。
管理人さんから、
「マンションにカメラが6台あるんだけど、今日は全部、佐藤さんの方に向けておくよ。ただ、階段が死角になってるから、そこだけは映らないな」
と言われましたので、6台もこちらを向いているのなら、今度こそ犯人が映るだろうと思っていました。
その夜も午前2時頃になると、
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン。
と、いつものようにインターホンが鳴り始めました。
けれど、こちらも何日も付き合っているうちにすっかり嫌になってしまい、もう勝手に鳴っていなさいという気分になって、その日はそのまま無視しました。
翌朝、管理人さんたちと一緒に防犯カメラの映像を確認してみましたが、6台のカメラのどこにも人らしいものは何も映っておらず、それなのに不思議なことに、その日を境にインターホンはぴたりと鳴らなくなりました。
これで終わったのかと思っていましたら、今度は洗面所でした。
ある日の夜中2時頃、洗面所で顔を洗っていると、扉の向こうから、
コンコン、コンコン。
と何度もノックする音がして、そのうち、
ガチャガチャ、ガチャガチャ。
とドアノブまで動き始めました。
最初は子どもたちが私をからかっているのだろうと思っていたのですが、あまりにもしつこいので、だんだん腹が立ってきて、
「うるさい!! いい加減にしなさい!」
と怒鳴りながら、ドアを思い切り開けました。
ところが、誰もいません。
てっきり子どもたちが慌てて逃げたのだと思い、寝室へ行って確認してみると、二人ともいびきをかいて気持ちよさそうに寝ています。
おかしいな、とは思いましたが、この頃の私はまだ、こうした出来事を霊的なものと結びつけて考えておらず、「疲れているのかな」くらいにしか思っていませんでした。
そのうち、ある夜には黒い影のようなものに首を絞められることがあり、朝起きて鏡を見ると首と腕には痣が残っていましたが、それでもまだ、疲れているのだろうと思っていました。
今考えてみれば、疲労というものもずいぶん万能なもので、インターホンを鳴らし、洗面所の扉を叩き、そのうえ人の首まで絞めるらしい。
それでも私は、自分がいわゆる「霊媒体質」だとはまったく思っていなかったのです。
またある夜には、布団の中に小さな男の子が入ってきました。
丸刈り頭で、昔のマルコメ味噌のCMに出てくるような雰囲気の男の子だったのですが、不思議なことに、その時の私はその子を見知らぬ子だとは思わず、なぜか自分の子どもだと思い込んでいました。
私はその子を抱っこして頭を撫で、足を触ってみるととても冷たかったので、
「こんなに冷たくなって……寒かったでしょ」
と言いながら、両手で何度もさすって温めてあげ、そのまま抱っこして眠りました。
翌朝、目を覚ましてみると男の子はいなくなっていたのですが、寝ていた布団が元の場所からかなり離れたところまで移動していて、部屋の中もなぜかめちゃくちゃになっていました。
見知らぬ男の子を抱いて一晩寝て、翌朝部屋がめちゃくちゃになっているのですから、普通ならこの辺りで大騒ぎするのかもしれませんが、それでも私は、夢でも見たのだろうくらいに思っていました。
そうかと思えば、布団に入って眠ろうとすると、今度は畳の下から男性の大きないびきが聞こえてくることもありました。
地を這うような低く大きないびきで、隣の部屋でもなく、外からでもなく、どう聞いても私が寝ている、その畳の真下から聞こえてくるのです。
私は離婚していましたし、当時、長男は小学1年生、次男は幼稚園の年中さんでしたので、家の中に大人の男性はいません。
では、いったい誰が畳の下で寝ているのかという話になりますが、そこまで知りたいとは思いませんでした。
世の中には、確かめなくてもいいことがあります。
またある時、友人とSkypeで話をしていると、私の後ろを6歳くらいの女の子が歩いていました。
私にもその女の子は見えていたのですが、なぜかその時は自分の娘だと思い込んでいましたので、何の違和感もなくそのまま話を続けていると、友人が突然、
「後ろに女の子がいるよ。娘?」
と聞いてきました。
私にも見えていましたから、そうだと思って普通に返事をしたのですが、よく考えてみると、その時、娘は家にいなかったのです。
しかも、なぜかその日のSkypeを私は録画していましたので、後から映像を見返してみると、赤い着物を着たおかっぱ頭の小さな女の子が、私の後ろからスーッと出てきては私の後ろに隠れ、くるくる回って、またスーッと向こう側へ行く姿が映っていました。
一つだけなら見間違いだったのかもしれませんし、二つくらいなら疲れていたのだろうとも思えます。
けれど、夜中にインターホンが鳴り、洗面所の扉を叩かれ、黒い影に首を絞められ、知らない男の子が布団に入り、畳の下から男性のいびきが聞こえ、とうとうSkypeにまで女の子が映るとなると、これを全部「疲れ」で片づけるには、疲れの方にも少々荷が重いでしょう。
そして、その頃から身体にもいろいろなことが起きるようになり、突然出血が止まらなくなったり、首がまったく動かなくなったりして、婦人科や整形外科にも行きましたが、検査をしても原因はよくわかりませんでした。
そんなある夜、夜中にトイレへ起き、用を済ませて布団へ戻ろうとした時のことです。
突然、身体がふわっと宙に持ち上げられたような感覚があり、その直後、何かに押されたように感じたかと思うと、私はそのまま顔から床へ倒れました。
そこから先のことは、まったく覚えていません。
後から聞いた話では、私が倒れていた床は血の海になっていたそうで、息子たちが妹に連絡をし、救急車を呼んでくれて、私はそのまま病院へ運ばれました。
私はこの時、一度死んで、また戻ってきたようなのです。
その間、私はとても美しい湖にいました。
湖の水の中に身体を浸していて、水は少し生ぬるく、それがとても心地よく、空気は今まで感じたことがないほど澄みきっていて、空も本当に美しく、どこまでも透明でした。
身体の重さも痛みもなく、ただただ気持ちがよくて、
「もう帰りたくない。ずっとここにいたい」
と思いました。
初めて来た場所のはずなのに、なぜかとても懐かしく、愛おしく、ここは私がもともといた場所なのではないか、私の魂がいた場所なのではないかという感覚がありました。
しばらくすると、ものすごく遠くの方から、
「ママー、ママー」
という声が聞こえてきました。
最初はかすかだったその声が少しずつ近くなってくると、それまで静かだった周りが、もわん、もわんと動き始め、目が回る時のような、長いトンネルを通ってどこかへ戻されているような、不思議な感覚になりました。
美しい湖が少しずつ遠ざかっていくのがわかり、
「待って……帰りたくない」
と思いました。
本当に、帰りたくなかったのです。
けれど、
「ママー、ママー」
という声はどんどん近くなり、それと同時に、それまで何もなかった自分の身体に、何か重たいものがまとわりついてくるような感覚が戻ってきました。
身体そのものがなくなったように軽くて気持ちがよかったのに、少しずつ重力が加わっていくように身体が重くなり、痛みまで戻ってきて、とにかく重たい、辛い、という感覚だけが強くなっていきました。
そして次男の、
「ママー、ママー」
という声に呼び戻されるように、私はこの世へ戻ってきたのです。
目を覚ました時、前歯は2本折れ、下唇は前歯で噛んでちぎれてしまっていたため縫っていただいていました。
倒れる時にドアノブがクッションのようになって衝撃を抑えてくれたのだと思いますが、その後、病院でいろいろな検査を受けても、なぜ突然倒れたのか、はっきりした原因はわからず、疲労やストレスではないかと言われました。
けれど、それまで私の身の回りで起きていたことを考えると、すべてを疲労やストレスだけで片づけることもできなくなり、私は一度、埼玉で霊視をされている先生に見ていただくことにしました。
その先生によると、私のお腹のところには250年ほど前の少女がいて、肩には7年ほど前に亡くなった20代の男性がいるということで、今までのいたずらをしてくる霊たちも、私が優しいのを知っていて部屋まで入ってきてしまったようなのです。
「舞由加さんはね、察知するアンテナ(霊感)と影響を受ける器(霊媒体質)の両方を持っているんですよ。」
と言われました。
アンテナが立っているため、私の方から何かを探したり呼んだりしなくても、向こうから私の存在がわかってしまうのだというお話でした。
その話を聞いた時、私はふと、子どもの頃のことを思い出しました。
そういえば、子どもの頃にも不思議なことがあったのです。
家の近くに廃墟になった市場があり、そこから男性の泣き声が聞こえてくることがあったのですが、これがとにかくうるさくて、怖いというより、聞いているうちにだんだん腹が立ってきました。
そこで妹と友達と私の3人で、どうしたら静かになるだろうと子どもなりに考えた結果、なぜそういう結論になったのかは今となってはわかりませんが、私たちはお湯を沸かしました。
「逃げる」でもなく、「大人を呼ぶ」でもなく、熱湯です。
熱いお湯をバケツに入れ、おたまですくって声の聞こえてくる方へかけてみると、
「あち、あち、えーん、えーん」
と、泣き声が大きくなりました。
普通ならここで怖くなって逃げるのでしょうが、私たちはそれを聞いて面白くなってしまい、またお湯をかけました。
すると、
「あち、あち、えーん、えーん」
と聞こえてくるので、またかける。
そんなことを繰り返していました。
今考えると、泣き声の正体よりも、熱湯とおたまを持ち出した私たちの方が、よほどどうかしていたような気もします。
後からわかったことなのですが、その鳴き声の正体は、その市場で灯油をかぶって火をつけて自殺した男性の霊だったのですね。
子どもの頃の私にとっては、こういうことが日常の中で普通に起きていたのです。
先生から「霊感が強い、霊媒体質」と言われたことで、
「そういえば、私は子どもの頃からだったんだ」
と初めて気づき、それまで一つ一つまったく別の出来事だと思っていたものが、この時、私の中で少しずつ一本につながっていきました。
そして、いつの頃からか、
「ここには、ずっと住んでいてはいけない」
「いつか、このマンションを離れなければいけない」
という思いが強くなっていきました。
何かはわからないけれど、この場所にこのままずっと住み続けてはいけないような気がしてならず、娘が大学1年生になった時、私は長年暮らしたこのマンションを売却し、離れることを決めたのです。
これでようやく、不思議な出来事からも離れられる。
その時の私は、そう思っていました。
ところが、そうはいきませんでした。
どうやら、マンションを売って引っ越せば一件落着、というほど話は簡単ではなかったようです。
引っ越した先でも不思議な出来事は終わるどころか、そこからまた私の人生は大きく動き始めました。
そして、この先に経験することや出会いが、やがて古神道を学び、産土神社について深く知り、現在の私が産土神社鑑定士として皆さまの鑑定をさせていただくところへとつながっていきます。
産土神社鑑定士になることなど、この頃の私は夢にも思っていませんでした。
夜中に100円ショップのプラスチックバットを握っていた人間が、後に産土神社を鑑定するようになるのですから、人生というものは本当にわからないものです。
けれど、今振り返ってみると、一見何の関係もないように思えた出来事の一つ一つが、その後の私につながっていたように思います。
私がどんな経緯をたどって産土神社鑑定士になったのか。
そして、なぜ今、この仕事をしているのか。
もう少し、お付き合いいただけましたら嬉しいです。
続きは、次のお話で。


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