
はじめまして。佐藤舞由加と申します。
新しい時代が幕を開けようとしている今、縁あってこの場所へ辿り着いてくださったあなたさまへ、私自身の歩みと想いをお話しさせてください。
私は山口県宇部市に生まれ、千葉県市原市で育ちました。
古き良き伝統や「根源」を大切に守り抜く西の気質。
そして、新しい風を柔軟に取り入れ未来を切り拓く東の開拓精神。
この正反対とも思える二つの土壌が私の中で溶け合い、「伝統を重んじる誠実さ」と「変化を恐れないしなやかな勇気」の共存が、私の基盤となりました。
しかし、私の人生は決して平坦なものではありませんでした。
幼少期からの病弱な体、小学生での両親の離婚と妹との別離。音楽大学を卒業し、三人の子宝に恵まれながらも、待っていたのは夫との歩調が合わない、孤独な葛藤の連続でした。共に歩むはずの道はいつしか険しいものとなり、心身ともに限界を迎えた末の離婚。さらには不思議な生死の境を彷徨うような経験…。
「なぜ、私の人生は不幸なのだろう。本当に神様がいるのだとしたら酷すぎるのではないか……」
逃げ場のない孤独の中にいた私に、大きな転機が訪れたのは、父を亡くした後のことでした。
静かな家の中で、どこからともなく、けれど確かな意志を持った「声」が私を導くように響きました。
その不思議な導きに促されるようにして、私は古神道の師と巡り会い、自らの天命を授かることとなったのです。
「産土神様(うぶすながみさま)との縁を広め、人々を開運へ導くこと」
その天命を受け入れたとき、神様を恨み、泣き続けてきたすべての苦しみは、実は私をこの道へ連れてくるための大切な準備であり、父への想い、そして私の魂を真に目覚めさせるための道であったのだと、すべてが腑に落ちたのです。苦難の日々は、すべてこの産土神様に出会うための『確かな裏付け』であったのだと、心から思えるようになりました。
「苦しむ人のために、私をお使いください」
今でも、自分に力があると慢心しそうになったときには、必ずこの言葉を繰り返します。
私たちが受け取る神の助力とは、「神様の慈愛が、一番温かい「人の手」という形を借りて現れたもの」に他なりません。
だからこそ、その助けは決して直接的にはやってきません。それは必ず「人」を介して届けられます。良き出会いや解決の糸口、そして進むべき光を、誰かが運んできてくれるのです。私は、あなたにとってそのような「手」でありたいと常に願っています。
もし1つ願いが叶うなら――
私の意識はあなたのそばにいて
あなたが大切にしている人を、あなたが幸せにできるように寄り添ってあげたい、こう思うのです。
私自身に、特別な力があるわけではありません。
ただ、目に見えない尊い存在たちが、常に私の背中をそっと支えてくれています。
あなたさまがこの想いに耳を傾けてくださったこと、そして、この尊いご縁にめぐり逢えたことに、心より感謝申し上げます。
生きとし生けるものと、目に見えないご存在が手を取り合い、
調和の中で共に歩んでいく――
そのような世界を、あなたと共に紡いでいけますように。

経歴
1974年生まれ。
武蔵野音楽大学ピアノ科卒業。
幼少期よりピアノを学び、音楽を通して感性や表現力を磨く。
その後、聖徳大学にて心理学を学び、人間の心や精神の働きについて理解を深める。
産土神社・鎮守神社のリサーチ法を考案し、産土開運法を体系化された古神道家・山田雅晴先生の一番弟子である織田雅弘先生、ならびに織田彩華先生に師事。
産土信仰(古神道)をはじめ、神道易、神道フーチ、九星気学、四柱推命、さまざまな開運法について学びを深める。
その学びの最中、私を精神的に支えてくれた、かけがえのない人を突然亡くす。
その別れを通して、魂の動きや、目には見えない神様の働きを目の当たりにする。
この経験は、それまで学んできた産土の教えを、知識としてだけではなく、自らの人生を通して深く理解する大きな転機となる。
なかでも、織田雅弘先生の「みんなと自分が輝く」という理念に深く感銘を受ける。
まず相手を輝かせること。
そして、その相手から反射した光によって、自分自身も輝いていく。
人を幸せにすることが、やがて自分自身の幸せにもつながっていくという教えを大切にしている。
現在も織田雅弘先生、織田彩華先生の両師のもとで研鑽を重ねながら、産土神社鑑定を通して、一人ひとりがご自身の産土の大神とのご縁を知り、そのご縁を深め、精神的にも経済的にも豊かな人生を歩んでいけるよう、お手伝いをしている。
産土神社鑑定士・開運カウンセラー
佐藤舞由加
